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人間らしさ(社会性)が危ない
人のこころ・意識の中心は(人間らしさ)脳(前頭前野)にあると脳科学者は言う。
知的な領域も運動の領域も全ての意識の正体である前頭連合野という別の領域でコントロールされているらしい。「人間社会」とはよく言うが人間に近いサルやチンパンジーなどが一定の社会を作ることは良く知られている。しかしより高度な文明社会を作り上げて来た人間とサルの決定的な違いは、前頭前野と言われる部分の発達と大きさにあるという事は既に分かって来ている。そのルーツは、人類の進化の過程で家族・氏族といった人間関係社会を作って来たことにあるらしい。
対立する氏族間の間では幾度となく争いも行われて来たが、その氏族内においては、連帯を強める必要性もあって一定の戒律や規則が守られて来た。それらを背景にした人間関係を保つ為に身につけて来た力がコミュニケーション力(脳からみると適度なストレス)でありそれが人間らしさの中心的存在である。
情動・社会性(喜び、悲しみ、向上心、探究心、思いやり、忍耐)の領域を発達させてきたのだという。昨今の日本の現状は、どうだろうか。人々は平和と機械文明というぬるま湯の中で、日本人としてのアイデンティーも忘れ、人としての営みも希薄になりつつあり。しいては、人間社会形成の在り方が問われるところまで来ている。少子化・核家族化という潮流の中では、ほぼ見られなくなってきた大人社会。こんな社会では人間らしさのルーツを考えるととても子どもたちに、より「人間らしく」などとは言えない状況である。
一流大学・一流企業へとエリートの道をたどりながら、途中でドロップアウトしてゆく多くの若者が見せる現象も、数学力・読解力共に低迷していく学力の低下や「キレル」という言葉に象徴される青少年の異常行動なども、皆この人類進化のルーツが培ってきた「コミュニケーション力」つまり前頭前野領域の発達低下にあると、著名な脳科学者は語っている。
今や日本は経済大国という大きな柱に寄り掛かって、世界有数の知的民族などという事にあぐらをかいている場合ではない。これからの日本を支えていくべく瞳を爛々と輝かせている目前の子どもたちに我々の立場は何を提供すべきなのだろうか。
運動指導というちっぽけな教材しか扱えないが、その使命は決して小さくはない。ここしばらくは、この使命感に支えられた人生観の中で関連情報が私の脳に刻まれていくことになるのだろうが……。
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