子どもたちの未来のために

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「“しつけ”を考える」

 子どもの教育に「しつけ」(基本的な社会性)が必要不可欠なのは誰もが知ること。
生活が豊かになり、国家の財政である労働力としての子育て概念(60〜70年前)がなくなり、近年では、親の楽しみとして位置づけられていることを人々は気づいていないのかもしれない。
 「しつけ」とは人間として社会で生き、共に共感・共鳴しつつ共通利益を得ようとする為に、時には「我」を押さえ断ち切ることの出来る力なのではないかと考える。

 教育界で著名な哲学者、故「森 信三」(1896年〜1992年)先生は著書の中で「しつけ」の根本原理の三か条を下記の様に語った。
@「挨拶は親も子も自分からすること」
A「呼ばれたらハイと返事をし、ナアニといわない子にすること」
B「履物を脱いだら揃え、席を立ったら椅子を入れて、出しっぱなしや脱ぎっぱなしにしない子に育てること」

 どれも「我」を断ち切ることが前提にあることは言うまでもない。
「まっすぐに並ぶ」「全員で挨拶をする」「揃って行動をする」などという行為が軍隊教育に徹底して使われていた為、教育現場からは敬遠される動きもあるが、個人の我を完全に捨てることが要求される軍隊では、最も効果的な教育手法として用いられたに過ぎない。
 教育の現場では常に集団行動や活動が付きまとう。我々の現場においても同じことが言える。「学校や幼稚園・保育園」「スポーツクラブやチア・ダンスクラブ」「サマースクールやスキースクール」などにおいて子ども達は集団活動や行動を通してルールやマナーを守り、「できる」「おもしろい」という学習の基礎を共通の利益として共有し、習得過程の中で、「褒め」「認められ」「評価される」喜びや「できる」喜びを味わい自分を成長させ(社会性)を身につけ(素地を形成)し、いずれ「しつけ」へと結びついていく。

 今年度は、是非皆さんで我々と共に「しつけ」の原点に戻って考えてみませんか・・・
近年「子どもの社会性」の低下を感じている私です。

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